シリーズ連載 明治維新150周年

【明治維新150周年】vol.8 勝海舟

幕臣でありながら、幕府の利益よりも日本の未来を考えて新しい政治体制の必要性を説いていた勝海舟。坂本龍馬の師でもあり、他の多くの志士たちにも影響を与えました。また、江戸無血開城を実現し、平和裡に明治維新を成功させた偉人の一人です。

【明治維新150周年】vol.8では、霊言『勝海舟の一刀両断!』(2010年5月発刊)から、時代を見抜く智慧と洞察力を持った勝の魅力に迫ります。
 

日本海軍の生みの親

 
1823年、勝は江戸の両国で生まれました。父・小吉は旗本の身分でしたが家は貧しく、質素な暮らしをしていたそうです。幼少期から勉学や剣術修行に励み、直心影流剣術の免許皆伝を受けています。
蘭学の勉強もしていましたが、当時はまだ「異国語を学ぶ者は神国日本を冒涜している」と考える人が多く、奇異の目で見られることも多かったようです。しかし、「日本を強くするには、西洋の兵学が必要になる」と確信していた勝は、蘭学と兵法を教える私塾を開いています。
 
幕政には関与していなかった勝でしたが、黒船来航をきっかけに幕府の要職を任されるようになります。
欧米から開国を迫られていた幕府は、鎖国を破ることに慎重になり、幕臣や諸大名、町人に至るまで幅広い人材から意見書を求めました。

寄せられたもののほとんどは精神論で攘夷を決行するという内容でしたが、勝の意見書には「西洋式軍隊の創設」「貿易の開始」「江戸の防衛計画」など現実的で緻密な内容が書かれていたため、老中・阿部正弘の目にとまり、抜擢されることになったのです。
オランダ語ができた勝は要職に取り立てられ、日米修好通商条約批准のための遣米使節の艦長にも選ばれています。
アメリカの進んだ工業を実際に見てきた勝は、帰国後、神戸に海軍操練所を創設しました。日本の国力を上げて防衛力をつけるには、海軍が必要不可欠であると見抜いていたのです。このため勝は、日本海軍の生みの親とも呼ばれています。
 

龍馬との出会い

 
勝といえば、坂本龍馬と師弟関係にあったことで有名です。勝が海軍操練所にいた時期、龍馬は入門していた剣術道場の千葉重太郎と一緒に訪ねてきていますが、実は龍馬たちは勝を暗殺するつもりだったと言われています。
龍馬が暗殺を計画していたという説を疑問視する歴史家もいますが、そのときのことを、勝は霊言で次のように語っています。

千葉道場の事実上の跡取りと、その師範代がだなあ、二人、刀を下げてやってきてだな、その考えが読めないほどの、ばかはいないよな。(中略)「暗殺しに来ただろう」というのは、もう、殺気で分かっちゃうさ。だけど、彼らは、玄関口で刀を外そうとしたよ、とりあえず、礼儀としてね。でも、私はね、「いや、君、刀を外しちゃいけないよ。何が起きるか分かんないから、ちゃんと腰に差してなきゃいけない」って言ったのさ。それで毒気が抜けてしまって、斬れなくなったんだよ。(215ページ)

勝は龍馬たちに、開国の必要性や海軍をつくって日本を強くするという未来の構想を聞かせました。すると、幅広い見識を持った勝の考えに龍馬は感動し、その場で弟子入りしたのです。龍馬は海軍操練所の運営を手伝いながら操船技術などを学び、勝に随行した長崎で外国人商人と会うなどして世界情勢の見聞を広げました。

龍馬は勝のことをとても尊敬し、姉・乙女に宛てた手紙でも「今にては日ノ本第一の人物勝麟太郎(勝海舟のこと)という人に弟子になり」と書いています。
 
また、勝は霊言で龍馬について興味深いことを語っていました。

「龍馬という人間の人物を見抜いた」ということでもあったし、ある意味では、わしも勘が鋭かったから、魂的に非常につながった者であることぐらいは、一目、見ただけで、感じとしては、お互い分かったな。(224ページ)

大川隆法総裁の霊査によれば、中国の三国志時代、勝は諸葛孔明、龍馬は劉備玄徳として生まれていたことが明かされています(『もし諸葛孔明が日本の総理ならどうするか?』『徳のリーダーシップとは何か 三国志の英雄・劉備玄徳は語る』参照)。勝と龍馬は、混迷の時代に力を合わせて未来を切り拓く、深い縁を持った魂同士なのかもしれません。
 

勝が幕末を生き延びた理由

 
開国論者だった勝は、多くの攘夷志士から何度も命を狙われています。
しかし、直心影流剣術免許皆伝の腕前を持っていながら、剣を抜いて戦うことはなく、刺客を素手で投げ飛ばしてしまったり、ときには言葉一つで相手の斬る気を失わせてしまったこともあります。

相手を斬ることなく刺客を撃退した秘密について霊言で質問すると、このように語っていました。

向こうは、素手だと思って油断してるんだろうけども、けっこう素手で捕まえたね。(中略)相手は、気がついたら、後ろに手をねじられて、刀を落としているよ。そのように手捕りにして、庭に投げ捨てたのは、だいぶ、いるね。それは、やっぱり鍛練だな。「禅の修行による精神鍛練」と「剣術の鍛練」。(225ページ)
 
相手の人間の性格やパターンを見抜き、「この人は、こういうふうに言やあ、こうなる。こういうふうに動けば、こうする」と、こういうことが読めるかどうかだな。(中略)「相手の殺気と動きを読む」ということだよ。(219~226ページ)

頭の回転が速く、人物を見抜く能力に長けていた勝は、相手の意表をついて刺客を“改心”させてしまう交渉の達人でもありました。
 

江戸無血開城を成功させる

 
1868年、鳥羽伏見の戦いで将軍・徳川慶喜が大坂城から敗走すると、勝は軍事総裁として新政府との交渉責任者に任じられます。
幕府の内部には、フランスの援助を受けて徹底抗戦すべきだと主張する者もいましたが、内戦の混乱に乗じて植民地化される恐れがあると考えた勝は、この案を断固拒否しました。

国を二分して戦っていては国力が疲弊し、外国につけ入る隙を与えてしまいます。そして、今の幕府では外国と対等な関係を築く強い国家をつくれないと考えた勝は、江戸城の明け渡しを決断。慶喜に対しては「民を想うならば、身を引くことが日本を救う道である」と新政府への恭順を説得しています。
 
同年3月13日と14日、2日間にわたり勝と新政府軍の西郷隆盛の会談が開かれました。
実は、勝と西郷はこの会談以前から理想の国家構想を語り合う仲で、生前の西郷は勝のことを「どれだけ知略これあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候、英雄肌で、佐久間象山よりもより一層、有能であり、ひどく惚れ申し候」と評するほど、幕臣の勝を信用していました。

会談のなかで、勝は「慶喜には恭順の意志があること」「江戸を戦場にすることの無意味さ」「日本を外国の脅威から守るには国内で争っている場合ではないのだ」と説き、江戸総攻撃中止を交渉します。
新政府軍では会談の翌日15日に江戸総攻撃を予定していましたが、西郷は「勝の言うことならば信頼できる」として、総攻撃を中止したのです。
 
徳川幕府約300年の歴史に幕が下りるにあたり、生前の勝は次のような言葉を残しています。「俺は、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった。」
霊言でも次のような発言がありました。

幕府の要職にゃあったけれども、「最終的に、この国家をどうするか」ということだよな。(中略)「いかに、国としての財産、幕府や藩の財産を疲弊させないようにして、次の新生国家に備えるか」と、こういうことを考えとったよ、俺はな。(21~24ページ)

勝は幕府の要職にありながら、権力に固執することなく、日本の未来を見通していました。

幕府側に、世界を視野に入れた大局観と優れた交渉力を持ち合わせた勝がいたからこそ、世界史上類を見ないほど平和的に国家の体制変換がなされ、明治維新は成功したのです。

勝の霊言からは、時代の潮流を読む先見性と相手を見抜く洞察力を学ぶことができます。
 

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勝海舟の一刀両断!

霊言問答・リーダー論から外交戦略まで


大川隆法 著
発刊日:2010年5月1日
定価:1,512円(税込)


目次
○人材の条件
○日本の外交のあるべき姿
○説得力を高める智慧とは
○なぜ、勝海舟は暗殺されなかったのか
ほか


 

シリーズはこちら
明治維新150周年
vol.1 日本が世界に誇る偉業(1)
vol.2 日本が世界に誇る偉業(2)
vol.3 坂本龍馬
vol.4 吉田松陰
vol.5 橋本左内
vol.6 木戸孝允・山県有朋・伊藤博文
vol.7 高杉晋作
vol.8 勝海舟
vol.9 西郷隆盛

 

霊言とは?

「霊言」とは、あの世の霊を招き、その思いや言葉を語り下ろす神秘現象のことです。これは高度な悟りを開いている人にのみ可能なものであり、トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる「霊媒現象」とは異なります。また、生きている人間の守護霊の霊言は、いわば、本人の潜在意識にアクセスしたもので、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)になります。幸福の科学グループ創始者・大川隆法総裁は、数多くの霊を呼び出して、その言葉を伝えています。書籍化された公開霊言は500冊を超え、海外にも読者が広まっています。

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