【明治維新150周年】vol.5 橋本左内

自らの志や立派な武士になるための心構えを、わずか15歳で『啓発録』という書にまとめた福井藩の英傑・橋本左内。安政の大獄により、若くしてこの世を去りましたが、左内の思想は吉田松陰や西郷隆盛らに大きな影響を与え、明治維新の原動力ともなりました。『啓発録』は現代でも幅広く読まれ、明治維新から150年たった今でも多くの人に感動を与えています。
【明治維新150周年】vol.5では、左内の霊言『橋本左内、平成日本を啓発す』をもとに、現代人を啓発する霊界の左内からのメッセージをご紹介します。
 

15歳にして『啓発録』を書いた早熟の天才

 
1834年、左内は福井藩の医者の家に生まれました。幼いころから向上心が高く、頭のいい子供だったそうです。そして15歳のとき、偉人の生き方に非常に感銘を受けたことをきっかけに、その後の左内の思想や行動の中核ともなる『啓発録』を著しました。
『啓発録』には下記の5つの項目が立てられています(講談社学術文庫『啓発録』より現代語訳を抜粋して併記)。
 

稚心を去る
    稚心とは、おさな心、すなわち子供じみた心のことである。13、14歳に成長し、自ら学問に志す年齢になって、稚心がほんの少しでも残っていたら、何をしても決して上達せず、将来天下第一等の大人物になることはできない。

 

気を振るう
    気とは、人に負けまいと思う心、名誉が傷つき恥をかいたことを悔しく思う気性のことである。それを振るうというのは、常にそうした心を持って、その精神を振い立て、振い起こし絶えず緊張をゆるめず油断のないよう努力することである。

 

志を立てる
    昔から学問・徳義が衆人に優れていたとされる偉人でも、目が四つあり口が二つあった訳ではなく、その志が大きくたくましかったから、ついに天下に知らぬ人もいないような名声を得るに至ったのである。世の中の人の多くが、何事もなし得ずに生涯を終るのは、その志が大きくたくましくないためである。

 

学問に勉(つと)める
    学とは習うということで、優れた人物の立派な行いを習い、自らもそれを実行していくことを言う。勉めるというのは、自己の力を出し尽くし、目的を達するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である。学問は物事の道理と道筋を解釈し明らかにするものであるから、軽々しく粗雑なやり方では、いつまでたっても真の道義は理解できず、世の中の実際に役立つ学問とはなり得ないものである。

 

交友を択(えら)ぶ
    友人と交際するのに、飲み食いや歓楽をともにするために付き合ったり、行楽や魚釣りなどで馴れ合うことはよろしくなく、学問の講究、武芸の練習、武士たる者が持つべき志や精神の研究などの上で交わりを持つべきである。

 
左内は自分も含め、学問を志したばかりの若者に向けてこの5つの項目を書きましたが、霊言でも現代の学生に対して、今の日本に必要な人材になるための厳しいアドバイスをしています。

後ろから見ていて、大人が思わず、畏怖の念を感じるぐらいの、後光の出るような学生にならなきゃ駄目だよ。それは「学徳」のなかから出てくるんだ。「自分の問題を解決し、学問を克服し、世の中の役に立とう」と真剣に思っている人間には、それだけの光が出てくるんだよ。(中略)
十五になったら、後光が射しているぐらいじゃないと駄目だよ。そのくらいの、生きる厳しさがなきゃ駄目だ。(113~114ページ)
 
今のままだったら、主導権を外国に握られる。基本的に、後手後手になり、「外国のイニシアチブのなかで、どうあがくか」ということだけの問題になると思う。
やはり、先見性や構想力を持つ人間が出てこなきゃいけないな。その構想力のなかで、やるべきことを、着々、準備しなければいけないと思うね。(125ページ)

霊界からは、地上よりもはるかに大きな見識で未来を見通すことができます。霊界の左内は、現代の日本が幕末と同じような危機に立たされていると警鐘を鳴らし、「稚心を去る」以上のものを現代の若者に求めているようです。
 

時代を先取りした左内の藩政改革

 
左内は16歳のときに、大阪の適塾で緒方洪庵に西洋医学を学んでいます。21歳になると再び遊学を許され、今度は江戸の杉田成卿(せいけい)という学者のもとで最新の国際情勢を学び、藤田東湖や佐久間象山、西郷隆盛とも交友を深めました。
 
左内が大阪や江戸で遊学していたのは、欧米列強がアジア諸国を次々と植民地にしていった時期です。「このままでは日本も植民地にされてしまう」という危機感から、各藩が改革を進めていました。
福井藩でも人材を求めていた折、藩主・松平春嶽は左内の優秀さを耳にします。父親の後を継いで藩医をしていた左内は士分に取り立てられ、藩政に参画するようになりました。
 
まず、藩校を指導する立場になった左内は、政治と学問を一体化するという画期的な改革をします。
江戸時代は身分制社会で、親の職業を継ぐことが当然と考えられていましたが、身分にかかわらず才能があれば藩政に取り立てられるよう、学問と政治を一体のものとして機能させたのです。
 
国防に関しても、長期的な視点から解決策を講じています。それまで藩校では観念論的な学問を中心に教えていましたが、国難に対処できるよう実学を重視させ、洋学を取り入れたのです。
左内の書いた教育に関する意見書には、次のような一文が遺っています。
 
「昨今はしきりに外国船が我が国沿岸を徘徊し、海岸防備の必要性が叫ばれている時節であるが、尊王攘夷の策を実行するためには、西洋が我が国よりすぐれている点をよく知ることが、第一の要件である。」(前掲『啓発録』より現代語訳を抜粋)
 
左内の先進的な改革は、明治政府が実施した四民平等や富国強兵、学制に先がけた取り組みだったと言えるでしょう。
 

「散ることを恐れるな」

 
それらの手腕が認められ、24歳の若さで藩主の片腕となった左内は、将軍継嗣問題にも関わりました。当時、幕府では病弱で子どものいなかった13代将軍家定の後任をめぐる問題が勃発していたのです。
福井藩や薩摩藩は一橋慶喜(のちの第15代将軍・徳川慶喜)を推し、左内たちは朝廷や幕府に働きかけを行います。
 
ところが、井伊直弼が大老になると、井伊の独断で徳川家茂が将軍に就任。さらに、反対勢力の「一橋派」を一掃し始め、左内も幕府の役人から取り調べを受けることになります。
将軍の世継ぎ問題に口出ししたことを認めれば、越権行為として処罰されてしまいます。そのような状況下でも、左内は日本が置かれている立場を役人に説き、「賢い者を将軍に立てようとするのは、国家に利のあること。私心があってやったのではない」と堂々と語ったそうです。
 
そんな左内の姿を見て、幕臣のなかにも「橋本左内のような優秀な人材を死なせるべきではない」という意見を述べる者がいました。しかし、井伊は左内の優秀さを恐れたのか、処刑を命じます。
左内の死は多くの志士たちに衝撃を与えました。そして、幕府内でも「井伊大老が橋本左内を殺したという一事をもって、徳川を滅ぼすに足る」と発言する人が出てくるなど、純粋に国家のために働いた有為な人材を無残に処刑する幕府に批判が集まります。そうした人々の思いが倒幕運動につながっていったのです。
 
左内は霊言の最後に、自身の人生を桜にたとえて次のように語っています。

日本の国は、桜の花だよ。そして、花が咲いたら散るんだよ。(中略)早く花を咲かせなさい。咲いたら、散るだろう。だけど、散ることを恐れて、咲くのを遅くするような考え方を持っておってはいかんと思いますな。(133~134ページ)

国の未来のために命を惜しまず奔走した左内の人生、そして霊となった左内が語る言葉は、公のために殉じる誇り高い精神とは何かを教えてくれます。
『橋本左内、平成日本を啓発す』『啓発録』の新旧2書から、私たちは、大人物になるための珠玉の智慧を学ぶことができるでしょう。
 
※『中国民主化運動の旗手 劉暁波の霊言』では、橋本左内が現代に生まれ変わっていたことが示唆されています。
 

橋本左内、平成日本を啓発す
橋本左内、平成日本を啓発す

稚心を去れ!


大川隆法 著
発刊日:2012年9月15日
定価:1,512円(税込)


目次
○二十六歳で名を遺した天才
○明治維新当時も、朝鮮半島問題は「国防の問題」だった
○敗戦に乗じて押しつけられた日本国憲法は「無効」である
○今の日本には「自立した個人」が必要
○いじめ問題の半分には、「稚心」がある
ほか


劉暁波の霊言
中国民主化運動の旗手 劉暁波の霊言

自由への革命、その火は消えず


大川隆法 著
発刊日:2017年7月29日
定価:1,512円(税込)


目次
○自由のない国家・中国の恐ろしさ
○中国人の立場から見た、驚きの国家の内情・世界観
○次の革命の波は? 習近平の今後の動きは?
○革命の魂は永遠に
○中国の革命家たちへのメッセージ
ほか


 
vol.1 日本が世界に誇る偉業(1)
vol.2 日本が世界に誇る偉業(2)
vol.3 坂本龍馬
vol.4 吉田松陰

 

霊言とは?

「霊言」とは、あの世の霊を招き、その思いや言葉を語り下ろす神秘現象のことです。これは高度な悟りを開いている人にのみ可能なものであり、トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる「霊媒現象」とは異なります。また、生きている人間の守護霊の霊言は、いわば、本人の潜在意識にアクセスしたもので、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)になります。幸福の科学グループ創始者・大川隆法総裁は、数多くの霊を呼び出して、その言葉を伝えています。書籍化された公開霊言は460冊を超え、海外にも読者が広まっています。

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