【明治維新150周年】vol.6 木戸孝允・山県有朋・伊藤博文

vol.4でご紹介した吉田松陰が育てた人材のなかで、明治政府で活躍した代表的な人物と言えば、木戸孝允、山県有朋、伊藤博文の3人です。
今回は、この3人の霊言が収録されている『維新の心』から、明治期の日本を支え、近代国家をつくり上げた長州藩出身の英雄たちの魅力に迫ります。
 

冷静に現代日本を分析する木戸孝允

 
木戸孝允(幕末では桂小五郎という名)は、早くから長州藩のなかでたいへん優秀な人材と言われ、攘夷運動のリーダーとして活躍。薩長同盟では長州側の責任者として同盟の実現に尽力しました。
 
木戸は松下村塾の塾生ではありませんでしたが、長州藩の藩校・明倫館で山鹿流兵法を教えていた吉田松陰から兵学を学び、松陰のことを生涯の師として仰いでいました。松陰も木戸のことをとても信頼しており、生前に「事をなすの才あり」と評しています。
 
維新後の木戸は、明治新政府で「五箇条の御誓文」の起草に参画したり、「廃藩置県」を主導したりするなど、日本を近代国家にするために奔走し、西郷隆盛や大久保利通とともに「維新の三傑」と言われています。
 
初代総理大臣・伊藤博文は生前、木戸のことを「才識に富んでいるほうの人で、どっちかといえば寛仁大度(寛容で情け深く、度量が大きい)にして、識量のある人」と評していましたが、霊言でも、冷静に現代の日本が抱える問題を分析する姿から、博識で先見力に富んだ木戸の個性が現れていました。
霊言では、現代日本(収録当時)の問題点について次のように述べています。

「憲法九条改正」と言っても、本当に日本が攻撃でもされないかぎり、事前に、そうすべきだとは思わないでしょう。かなり爆撃されたら、改正に賛成すると思いますけれども、それでは間に合わないでしょうね。(中略)
「今、民主党の考え方で行けば、この国は漂流する」というのは、そのとおりだろうと思います。それが見えないのは、本当に“平和ボケ”にしかすぎないだろうと思いますね。(43~45ページ)

この霊言が収録されたのは2010年5月。ちょうど民主党政権の時期で、その4カ月後の9月7日に、尖閣諸島沖の日本領海で、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという事件が発生しました。
 
漁船の中国人船長は公務執行妨害で逮捕されましたが、菅直人総理(当時)の意向をふまえて、仙谷由人官房長官(当時)が中国人船長を釈放するように検察に政治的な圧力をかけていたことが発覚。「釈放は正しかったのか」「民主党に日本の国防は任せられるのか」と議論を呼びました。
木戸の霊言での指摘は、まるで4カ月後に起こるこの事件を予測したかのような内容だったと言えるでしょう。

 

国軍の父・山県有朋が描く、対中国戦略

 
軍人、政治家として明治日本の近代化を進めた山県有朋は、20歳前後のときに久坂玄瑞の紹介で松下村塾に入塾したと言われています。吉田松陰から大きな影響を受け、「私は松陰先生の門下生である」と生涯語り、誇りにしていました。下級武士の出自ながら、松下村塾で学んだことをきっかけに、奇兵隊のナンバー2として戊辰戦争で活躍するなど、武芸や兵法の才能を活かして頭角を現していったのです。
 
明治維新後は、廃藩置県、地方自治制度の確立、近代官僚制度の構築のほか、徴兵制を制定して国軍としての軍隊制度を整えています。第3代、第9代内閣総理大臣や枢密院議長なども歴任。富国強兵政策を押し進め、日本近代化の基礎をつくる中心的役割を果たしました。
 
数多くの功績がある山県ですが、徴兵制を布いたことや、自由民権運動に反対していたことから、否定的な評価もあります。しかし、実際は戦争慎重派で、日清・日露戦争でも戦争回避の道を模索していました。霊言では、中国の軍事的脅威に対する意見を伺うと、次のように答えています。

中国本土のなかに思想を流し込んでいくことがとても大事だよ。それによって、中国のなかから変えていけるからね。それをやらないで、単に物理的な防衛力だけを考えても、駄目だと思うね。(82ページ)
 
貿易は平和でないとうまくいかない。軍事独裁でやれるのは統制経済のときだけだ。それは戦時経済としてはうまくいくが、自由経済ではうまくいかないんだね。
中国は、やがて、この壁にぶつかると思うので、私は、どこかで自壊作用が起きるのではないかと見ている。
だから、ある意味で、日本は、「軍事拡張に入らないほうが、国の発展にとって有利である」「平和のなかに、もう一段の繁栄がある」ということを、中国にお見せしなければいけないのではないかな。そのためにも、日本が、経済的に衰退していかず、もう一段、繁栄するところをお見せしなければいけない。(107ページ)

大東亜戦争を否定的に考える人からは、山県は軍国主義者のように見られ「陸軍が暴走した遠因をつくった」とまで言われることもありますが、生前の考え方や霊言での発言を見ると、軍国主義者だったとはとても思えません。
むしろ、山県のような政治・外交・軍事をバランスよく考えることのできたカリスマ的指導者が明治以降の日本軍にいなかったために、日米の開戦に至ったとも考えられます。
 
山県は、自身の利害や国民からの人気など気にせず、やるべきことを全力でやる愚直な人だったとも言われています。日本を強くして欧米の植民地政策から守るという使命感に満ちた生き方は、まさに武士の鑑です。

 

初代総理大臣・伊藤博文が見た明治維新

 
伊藤博文は、17歳のときに松下村塾に入塾しています。山県同様に低い身分の出身だったため、松下村塾では戸外で立ったまま講義を拝聴していましたが、吉田松陰は伊藤の才能を認め、「なかなか周旋家になりそうな」と評しています。
「周旋」とは、当事者間に立って仲立ちをすることといった意味です。松陰は伊藤のことを「政治家に向いている」と見抜いていたわけですが、その読み通り、伊藤は交渉事で活躍、明治維新後は大日本帝国憲法の制定に中心的な役割を果たし、初代内閣総理大臣まで務めました。
 
1863年、伊藤は井上馨らとロンドンに留学しています。英語を学び、海軍施設や工場などを訪れて西洋で見聞を広げました。
ところが、留学の翌年、長州藩が下関で外国船を砲撃した報復に、米・英・仏・蘭の四国艦隊が長州藩を攻撃しようとしているという情報が届きます。伊藤は、井上馨とともに留学を切り上げて急ぎ帰国し、イギリス公使と会見を行うなど、戦闘回避のために奔走。砲撃は阻止できなかったものの、戦後の和平交渉の使節にも加わり、長州藩に有利になるよう交渉を進めました。
木戸孝允が長州藩内で実権を握ると、木戸からの要請で薩摩藩との交渉や、外国人商人を相手にした武器購入交渉も行いました。
 
百姓の長男として生まれ、内閣総理大臣まで登りつめた伊藤ですが、決して偉ぶることはなく、高価な品物にも無関心だったそうです。
霊言でも非常に謙虚で、明治維新手前で命を落とした維新の志士たちを称えています。

明治維新の前夜に亡くなったりしたような人たちが、第一級の人物なんだよ。(中略)
やはり、吉田松陰先生、橋本左内先生、藤田東湖先生、高杉晋作先生、久坂玄瑞先生ら、そういう錚々たるメンバーが、みな、明治の栄誉を手にすることなく、二十代やそこらで、革命の点火役になって命を落としていっているわけだ。そういう尊い人柱が、あの明治維新をつくったんだよ。(133~134ページ)

明治日本の偉大な政治家として後世に名を残しているにも関わらず、自分の功績など一言も触れずに、維新前に亡くなった志士たちへの尊敬の言葉を述べる伊藤の霊言からは、政治家としてのあるべき姿を学ぶことができます。この謙虚さが、通算でおよそ7年半にわたり4度も内閣総理大臣を務め、国民からの支持も高かった理由なのかもしれません。
 
最後に、伊藤の霊言から現代を生きる私たちに向けた励ましのメッセージをご紹介します。

明治維新は一八六八年に起きたわけだが、今の時期を明治維新に当てはめるとしたら、そうだねえ……。うーん、もう、一八六〇年は過ぎたね。六〇年は過ぎて、六三、四年ぐらいの感じかな。あと数年ぐらいで、「維新の夜明け」が来る段階だ。(155ページ)
 
日本は、超一等国として、もう一段の発展期を迎えるようになる。これは、天上界において、すでに定められた運命なんだよ。(172ページ)

 
 
明治国家のかじ取りを任された3人の長州人たちの霊言からは、混迷の時代に国家運営をした者にしか分からない、国を守る気概と、日本の未来を透徹した目で見抜く先見力が共通して感じられます。
明治期の日本同様、混迷の時代にある現代。国防問題、財政赤字、官僚や政治家の度重なる不祥事など、さまざまな問題が起こるなかで、日本を発展させていくためには、明治日本を近代国家に押し上げた政治家たちに学び、今一度「建国の精神」を取り戻すことが必要なのではないでしょうか。

 

維新の心
維新の心

─公開霊言 木戸孝允・山県有朋・伊藤博文─


大川隆法 著
発刊日:2010年6月21日
定価:1,296円(税込)


目次
○現代における「薩長同盟」とは
○憲法改正を実現するには
○国防問題へのアドバイス
○明治維新における第一級の人物とは
○「思想」こそ、維新が成功した原動力
ほか


 
vol.1 日本が世界に誇る偉業(1)
vol.2 日本が世界に誇る偉業(2)
vol.3 坂本龍馬
vol.4 吉田松陰
vol.5 橋本左内

 

霊言とは?

「霊言」とは、あの世の霊を招き、その思いや言葉を語り下ろす神秘現象のことです。これは高度な悟りを開いている人にのみ可能なものであり、トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる「霊媒現象」とは異なります。また、生きている人間の守護霊の霊言は、いわば、本人の潜在意識にアクセスしたもので、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)になります。幸福の科学グループ創始者・大川隆法総裁は、数多くの霊を呼び出して、その言葉を伝えています。書籍化された公開霊言は460冊を超え、海外にも読者が広まっています。

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