ユートピア文学賞

2017年景山民夫賞受賞作品 兆晶 小説「インドラ」

あらすじ

河東昭は新米の陸上自衛隊員。ある日、韓国駐留米軍に派遣され、特殊部隊隊員である黒人女性ナスカとともに太煌国軍に潜入するという極秘任務についた。太煌国はインドラ計画という人工衛星に関する国際プロジェクトを進めていたが、昭とナスカは計画に隠された恐るべき陰謀を知ることになり……。

 

見どころ

ストーリーやキャラクター、舞台設定など、いずれもよく練られ、読み応えがある。軍事、宇宙、科学、国際問題といった幅広いテーマを包含しつつ、恋愛や家族愛、そして欲望や野望、復讐心といった人間の感情が絶妙に織り交ぜられた、エンターテインメント性の高い作品。

 

試し読み

俺は、星が瞬く夜空を見上げていた。今、親父があそこにいる。

俺の親父は河東広行。宇宙飛行船のパイロットだ。
人工衛星のメンテナンスを請け負う、スペースネットという会社で働いている。一年の半分は宇宙にいる。
俺は河東昭。家族は親父と俺だけだが、最近は会話一つも無い。
俺は、大学を卒業してから、陸上自衛隊に入ったばかりだった。
陸上自衛隊を選んだのは、宇宙で人生の大半を過ごす親父への反抗心があったのかもしれない。もっと言えば、親父とは全く関わり合いの無い人生を選びたい、とまで思っていたからだろう。
昨日、親父が不意に電話してきた。宇宙へのフライト前に話がある、と言ってきた。
陸上自衛隊の寮がある横須賀から、車で小一時間かけて、東京のマンションに向かった。
マンションのリビングで、親父は、俺にビールを勧めた。
車だからと断ると、親父は、そうかと頷いて、缶ビールのプルタブを開けた。
俺が黙っていると、親父は、ビールを一口喉に押し込むように飲んで、おもむろに喋り始めた。
「もうこれ以上、飛ぶのは限界だ。今度で、最後のフライトにしようと思ってる」
それから、しばらく沈黙が続いた。
俺は、親父と目を合わせないようにしながら、
「親父が、俺に言いたかったことは、それだけなのか」
と聞いた。
「そうだ。お前には言っておきたかった」
と親父は呟くように言った。
「わかった。親父の好きにしてくれ。じゃあ、俺は帰るよ。明日も朝から訓練なんだ」
と俺は投げつけるように言って、玄関に向かった。
親父は、俺の背中に向かって、
「気をつけてな」
とだけ言った。

(中略)

スペースネット社のシャトルは、高度千キロの周回軌道上に静止していた。
河東広行は、コックピットの窓の外を眺めていた。そこには、無数の星々が、天空を埋め尽くしている。この光景は、地上では決して見ることができない。
ピーッというアラーム音とともに、作業チームからの通信が入った。
「キャプテン、ロシアの衛星の修理は順調です。予定どおり、あと三時間ほどで終わりそうです。そっちは、異常無いですか?」
「了解。こっちも異常無しだ!」
通信を終えると、広行は、コックピットのモニターに目を移した。衛星とのニアミスを避けるため、同じ周回軌道の衛星の位置を確認していく。高度千キロは、衛星の数が最も多い。今朝、コックピットの窓から目にした衛星インドラも、同じ周回軌道上にいることが、モニターに表示されていた。
広行がモニターを見つめていると、衛星インドラの表示が突然消えた。
(どうした……、モニターの誤作動か?)
広行は、すぐに同一の周回軌道上の衛星の再検索をかけた。しかし、またしても衛星インドラは表示されなかった。
(おかしいな……)
今度は、衛星インドラの位置だけを検索してみた。すると、シャトルのコンピュータは、衛星インドラの位置と高度を表示した。
(高度九百五十キロだと!?)
しかも、モニター上に表示される衛星インドラの高度は下がり続けている。
(何かトラブルが起こったのかもしれない……)
そう思った広行は、すぐに作業チームに通信を入れると、シャトルを移動することを告げた。
(まずは、衛星インドラを望遠レンズで捉える距離まで近づこう)
広行は、コンピュータに座標値を入力して、シャトルの自動操縦を開始させた。移動に要する時間は、十分程度だった。その間も、広行はコックピットの窓の外をじっと食い入るように見ていた。
シャトルが移動を続けると、数分で、衛星インドラを望遠レンズで捉えられる圏内に入った。広行は、望遠レンズの映像をメインモニターに映し出す。衛星インドラが姿勢制御用のジェットを噴射しながら、高度を下げているのが見えた。
(誤作動でも起こったのか? もしそうなら、何か俺たちにできることは無いか……)
広行は、地上のスペースネット本社の管制センターに通信を入れた。
「こちらシャトルビークルです。どうぞ」
「こちらスペースネット管制センターです。どうぞ」
「同じ周回軌道にあるはずの衛星インドラが高度を下げているのを確認しました。何かトラブルでも発生しているのではないかと思い、連絡しています。どうぞ」
「わかりました。そちらで確認した衛星インドラの位置情報を送信してください。どうぞ」
「了解。今から送ります」
広行は、すぐに管制センターに衛星インドラの位置データを送信した。
「こちらスペースネット管制センターです。データを受信しました。関係機関に確認を取りますので、そのまま待ってください。どうぞ」
「了解!」
管制センターとの通信を切ると、広行は、先ほどまでインドラを映していたメインモニターに目を移した。しかし、そこには、暗い宇宙空間が映し出されているだけだった。
広行が再びインドラの位置を検索すると、高度は五百キロを切っていた。
(一体どういうことなんだ……衛星インドラの降下速度は、既にマッハ2を超えている……このままでは大気圏内に突入してしまうぞ……)
モニターには、インドラの高度を示す数値がカウントダウンのように減り続けていた。広行は、それを瞬きもせずに見つめている。衛星インドラは、高度三百キロに達したところで、突然止まった。
そして、次の瞬間には位置座標の数値が目まぐるしく変わり始めた。その移動速度を示す数値は、マッハ二百に達している。
(これは、通常の衛星の十倍の速度だ。十分で地球を一周してしまう。こんな速度で周回軌道に留まることなんて不可能だ。このままでは地球の周回軌道を飛び出して制御不能になってしまう……)
しかし、モニター上の数値は、衛星インドラが周回軌道上に留まったまま、信じられない速度で移動していることを示していた。
(これは……きっと……とんでもないことが起こっている……)
広行は、すぐに作業チームに通信を入れた。
「こちら河東だ。聞こえるか、トム」
「はい、感度良好ですよ、キャプテン」
「直ちに作業を中断しろ。すぐにシャトルで迎えに行く。急いで撤収にかかれ」
「何があったんですか、キャプテン」
「いいから撤収作業を始めろ! 十分で、そっちに行く。以上だ!」
広行は、すぐにシャトルのメインエンジンを起動した。自動運転のための座標入力をしている時間が無い。広行は、手動運転でシャトルを発信させた。
(高度三百キロの周回軌道には各国の軍事衛星が存在するはずだ。悪い予感がする……)
シャトルのハンドルを片手で握りながら、広行は、コンピュータで高度三百キロの周回軌道上にある衛星を検索した。
モニターに表示されたのは、衛星インドラのみだった。

(つづきは入賞作品集でお楽しみください)