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- 2017年入選作品 三田丈地・草羽映見 「銀杏通りの異邦人」
あらすじ
ジュエリー職人の青年、早瀬ユカリは健康診断でE判定という不可解な結果を受け取った。その通知にうろたえ、離れて暮らす兄姉に相談するも、全く取り合ってもらえない。ある日、ダンスパーティーで看護師の女性と知り合い、彼女の病院で検査入院をすることになったが、そこで、ユカリはE判定の真相を知ることになる。
見どころ
序盤に主人公の身に起きる不思議な出来事が伏線となり、後半のストーリーがスリリングに進んでいく。主人公・ユカリの秘密が次々と解き明かされていく展開にも驚かされる。
試し読み
爽やかな秋の朝、この明るい住宅街の広い通りで、大きな敷地に建てられたそれぞれの三階建てプール付き豪邸を眺めながら歩いていた。
それらの中には門から玄関までの距離が遠いために、通りからは建物の入口さえ見えないというものまである。
通りの街路樹は銀杏で、今の季節には延々と黄金色が続く。陽に透ける見事な黄色が幾重にも反射し合い、舞い落ちる様も路上に積もる葉も何もかもが輝いて見える見事な光景──。まったく実が生らないのは、すべて雄の樹だから、らしい。
通称〝銀杏通り〟と呼ばれるこの高級住宅街では、この黄金色の世界を歩くだけで、ときどき天国にいるような気持ちになる。あんまりきれいなので、休日は何のあてもなくただ散歩ばかりをすることも多い。
〝吉崎様方 早瀬ユカリ様〟
郵便受けに入っていた封書に気付いたのは、その日の朝だった。
表書きには宛名のほかに朱色で〝重要書類〟と書かれている。その封筒の糊付けされた部分の隅っこに指を突っ込んで無造作に破り開くと、その重要書類であろう中身を引っ張り出した。
──健康診断カードだ。
会社から毎年受けるようにと義務付けられている健康診断は、確か一カ月くらい前に受診した。近くの病院で受診し、結果が書き込まれたカードは、そのまま所属の健康保険事業所に転送されたはずだが、何で戻って来たのだろうか。
さらに封筒の中を覗き込むと、小さな紙切れが残っている。封筒を逆さまにして取り出してみると、そこには「お近くの〝健診受付コーナー〟で至急確認お願いします」と書かれている。
首を傾げる。僕はそのままカードを持って歩き出した。
やがてその高級住宅街の一画先に出ているコンビニの看板を見つけ、安堵した僕は、店に入るとすぐに各種カード読み取り機に向かった。画面を操作し、健診受付を呼び出し、カードを読み込ませると、左腕のブルーブレスレットを認証させて本人確認をする。
ブルーブレスレットは銀の細い腕輪で、一歳の誕生日に国民全員に与えられる身分証明書みたいなものだ。成長とともに大きさも変化し新しいものにどんどん更新される。そしてそれはありとあらゆることに活用されている。たとえば、役所の書類申請の本人確認や、登録されているポイント数での支払い、健康診断の受付などだ。
操作後、ほとんどすぐに画面全体が紅い色に染まり、〝警告〟の文字が浮かんだ。
その文字をぼんやりと見つめていると、再び画面が変わり、健康診断の診断表が現れた。よく分からない。頭を搔きながら見ていると、ところどころ赤い数字がある。検査数値の悪い部分だろう。そして最後の検査結果には「再検査の必要あり。必ず受診すること・E判定」とあった。
E判定なんか聞いたこともない。胸の辺りがモヤモヤする。
Aは「問題なし・健康」で、Bも「問題なし・健康だが生活改善の余地あり」、Cが「注意」というのは知っている。だからCは再診の必要があるのだろうし、そうなるとDだって相当悪いところがあるという意味だろう。
そのDでさえない、Eって?
気分が悪くなってきた。口元を押さえて店を出た。空を仰ぎ、大きく息を吸い込んだが、胸の鼓動は速いままだ。並ぶ金色の木立と舞う落ち葉の明るい色に目が眩み、しばらくそうして立ちつくしていた。
(中略)
コツコツコツ。
ノックの音で目が覚めた。
「早瀬さん」
あの若い医者が入ってくる。慌てて身体を起こした。
いつの間に眠っていたのか、辺りが暗くなっている。医師が部屋のライトを調節した。それからゆっくりと近付いてくる。
「ちょっとお話が……」
「あ、はい……」
「検査結果なんですが……」
一枚の紙を見せて、説明を始めた。
「少し気になる数値がありまして」
「はい……」
「ここなんです」
何か分からないアルファベットと数字が並んでいる。
「この数値、ありえない数値なんですよ」
「え、それはつまり?」
「ええっと、普通は一ケタです。でも、見てください。五百三十」
「……つまり、どこか悪いってことですか。どこですか、腸?」
「いえいえ。特定はまだ……。さらなる精密検査が必要です」
心臓をギュッと摑まれるような感じがした。
……精密検査……。
「えっと……一応、どの辺の異常なのか教えてください……。内臓ですか、まさか心臓とか……」
医師は眉を歪め、顔を近付けてきた。そして僕の目を見つめ、声を潜めて囁くように言った。
「脳です」
一瞬、声を失った。脳……。
「少し説明をしますと、この数値はホルモンの異常かと思われますが、原因はまだ特定できませんし、遺伝かもしれないし、あるいは脳の腫瘍か何かが原因かもしれません。とにかく、もう少しはっきりと検査しないと何とも言いようがないのです」
「……」
E判定だ。これがE判定の原因に違いない。
「……病名は……?」
「いえ、まだ分かりません。ただ……」
「ただ?」
「今の段階で言えるのは、視神経に影響があるということです」
「視神経?」
「ええ。物の見え方、画像の歪み、光の屈折が上手く調節できないはずです」
「……え」
「少し、独特の視覚を持っているかもしれません。……これまで、そんなことで悩んだり、困ったことなどありませんでしたか?」
「……」
言葉が出ず、思わず喉を鳴らした。
「何もなければ幸いです。精密検査のため、このあと、都内の中央総合病院で脳神経外科を受診してもらいたいのですが、よろしいでしょうか」
「……」
返事もできないほど、ショックだった。
「は……い……」
「では、後ほど……。準備ができ次第、移動ということにしましょう」
医師はそう言って、やんわりとした笑みを見せると部屋を出て行った。
──独特の視覚を持っている?
つまり、オズモンドが見えるような幼いときからの異常は、脳が原因だったってことなのだろうか? 何かの持病があるということ? それとも……?
でも、E判定は今回だけだ。今までずっとAだったのだから、それは違うはずだ。しかも、あとからE判定の取り消しと、新たなA判定の結果も出ている。……つまり、どういうことだ?
もう何が何やら分からなくなって、考えるのをやめた。そのままベッドに横たわり、しばらく両手で顔を覆っていた。
「……ユカリ……」
はっとして身体を起こす。……声?
目の前にオズモンドが現れる。静かにゆっくりと、空気に色が見え、形となる。これが、〝独特の視覚〟という奴か? やがてオズモンドははっきりと物体化し、僕と目を合わせていた。
「オズモンド? どうしてここへ?」
ゆっくりと身を乗り出した。彼に病院名を教えたり、検査内容を話したりしていない。
「……調べたの?」
「ユカリ、いいからよく聞け」
「え」
低い静かな声だ。オズモンドの身体は少し青みがかっている。こんな彼は見たことがない。なぜか緊張が走った。
「いいか? 今から起こることを話す。大切な話だから、決して間違うな」
「え……」
……決して間違うな?
オズモンドはさらに声を抑えて、ゆっくりと喋り出した。
「まず、このあとすぐに見舞い客が来る。その見舞い客におまえのブルーブレスレットを渡せ」
「え? 見舞い客って……?」
「質問はなしだ。とにかく聞け」
「そんな。……質問はなしって……」
「いいから」
オズモンドは大きな手を上げて僕の言葉を制する。
「……そしてそいつが新しいブレスレットをくれるから、それを嵌めるのだ。いいね?」
「どういうこと? 見舞い客って誰だい」
「誰でもいい。誰であっても、驚いたり質問したりしないことだ。冷静に、ただ言われた通り、ブルーブレスレットを交換することだ」
「……よく分からない。なぜそんなことを?」
交換したって、着けた者の情報しか表さないはずだ。
「なぜでもいいから。とにかくそうしろ。必ずだ」
オズモンドの口調がきつい。
「どういうことだよ……」
「いいから。まず、これを飲んで」
そう言って小瓶を差し出してくる。
「何? 何かの薬?」
「いいから」
「よくない。オズモンド、説明してよ。もっとちゃんとした説明を!」
「ユカリ、俺を信じられないのか?」
「信じているよ。でも、もう少し教えてくれてもいいだろう? 人に喋っちゃいけないなら、誰にも言わないから」
「……」
オズモンドが少し引いた。だが何も言わず、手にした小瓶を僕の両手に握らせてその上から手を握り締めると、ただ僕の顔を見つめ続ける。
「オズモンド、オズモンドは僕を信じてないのか?」
「……間違えたら危険に曝される。必ず言われた通りにするんだ」
「!」
危険? 空気が緊迫している。少しだけ状況が分かってきた。
「いいか。まず、見舞い客だ。ブルーブレスレットを交換しろ、その後……」
オズモンドはじっと僕の目を見つめた。
「点滴だ」
「……点滴?」
「そうだ。病院を移動する前に、必ず点滴をすると言ってくる」
「必ず?」
「必ず。……中身は〝栄養剤〟とか言うだろう。だが本当は睡眠剤だ。点滴中から眠りにつくように、おまえは睡眠剤を盛られる」
「え?」
「質問はなしだ。今は時間がない。すべてが終わってから説明する。……だからこの薬剤を飲んでおけ。睡眠剤は効かなくなる」
声が出せなくなった。……睡眠剤を盛られるって……。
(つづきは入賞作品集でお楽しみください)
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