【虎雄の堪忍袋】第1回 夏の沖縄訪問 ― 「普天間第二小学校の警備員さんに怒られた!」の巻(1)

小学生を危険にさらす米軍基地反対派の日本人たち

 

修学旅行の事前視察で沖縄入り

拙著『反日日本人は修学旅行でつくられる』(2013年発刊)は、公立高校の沖縄修学旅行に関する「平和教育」と称するものの実態と、それに対する引率責任者としての取り組みをご紹介したものです。

その中で、史実および今日の国防の危機を無視した、沖縄現地ガイドの説明や平和祈念資料館の展示内容の実態についても指摘しました。

本書の発刊から、その後どうなっているか、私自身の取り組みを含めてお伝えしようと思います。
 
2015年12月、私は公立高校の校長として沖縄修学旅行に生徒を引率する予定になっていました。そこで事前に、沖縄の現状をより深く把握しようと考え、その年の夏休みに妻と2泊3日の沖縄旅行に行ったのです。

旅行といっても観光はゼロ、地元の知人2名の方それぞれに、歴史的にまた今日的に問題となっている所を案内してもらうものでした。

 

「6666」のナンバープレート

台風が沖縄に上陸する直前に沖縄本島に到着し、台風と共に沖縄に滞在することになりました。嵐の中の沖縄訪問です。しかも、借りたレンタカーのナンバーは「6666」。6の4つ続きです(「666」は悪魔を意味する数字とされます)。本当に私は沖縄に「歓迎されているな」と感じました……。

沖縄入りしてまず私たちは知人と共に、あの普天間第二小学校を見に行きました。ご存じのように、「世界一危険な飛行場」と言われる米軍普天間飛行場に隣接する小学校です。

米軍機の離発着は、小学校の校舎「スレスレ」で行われます。この小学校は、1969年、宜野湾(ぎのわん)市が危険を承知でこの場所に作りました。

基地関連の仕事に従事するために、基地周辺の人口が増加し、小学校が必要となったからです。街のど真ん中に基地が作られたのではなく、基地の周りに街が形成されていったのです。

 

ダメだよ!勝手に入っちゃ

その危険さゆえ、過去二度にわたりこの小学校の移設計画が持ち上がりました。しかし、この移設計画は、基地に反対している人たちが猛反対して、実現しませんでした。小学校が基地のそばにあったほうが、彼らにとって米軍基地の危険性を訴えやすいからです。

この反対派のために、生徒たちは今も危険な状態に放置されています。

私は小学校の正門の前から校舎の写真を撮り、正門の中に少し足を踏み入れました。すると背後から、
「ダメだよ! 勝手に入っちゃ」
という声が聞こえました。振り向くと、そこには警備員姿の初老の男性が硬い表情で立っていました。

続く
【虎雄の堪忍袋】夏の沖縄訪問 ― 「普天間第二小学校の警備員さんに怒られた!」の巻

著者 森虎雄(もり・とらお)

1956年、東京都生まれ。ベテラン日本史専攻高校教師。公立高校の教諭、教頭、校長等を歴任。上智大学文学部史学科卒業。明星大学大学院人文学部研究科教育学専攻修士課程修了(高橋史朗ゼミ)。趣味、料理。著書に『反日日本人は修学旅行でつくられる』(幸福の科学出版)。

『反日日本人は修学旅行でつくられる』

『反日日本人は修学旅行でつくられる』

森 虎雄

第1章 元左翼教師、告発す
第2章 こういう授業を受けたかった
    ――あるべき真の平和教育とは 紙上再現授業「沖縄から平和を考える」
第3章 生徒を自虐史観に染め上げる修学旅行の実態
第4章 公立学校を取り巻く反日教育
第5章 国難のとき、教師が教えるべきこと

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