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『二宮尊徳に学ぶ成功哲学』編集にまつわるアレコレ話《第5回 学歴のない露伴が大文豪になれたヒミツ?の場所(1)》

【第5回】学歴のない露伴が大文豪になれたヒミツ?の場所(1)

幸田露伴の霊(※)を呼んで、新たな努力論を語り下した、大川隆法著『幸田露伴かく語りき』(2014年刊)で、大川総裁は、幸田露伴についてこう語っています。

「『百年に一人の頭脳』と言われた方でもあるので、文体や字体が旧くなることで忘れられていくというのは、まことに残念なことです」

幸田露伴著『二宮尊徳に学ぶ成功哲学』でも、現代語訳をした加賀義さんは、露伴が第一回文化勲章の受章者でもあったことに触れています。

そのように優秀な頭脳の持ち主であった露伴ですが、学歴は中学中退、同時代の夏目漱石(露伴と同い年)や森鷗外(露伴より5歳上)のような大卒者でもなければ海外留学組でもありませんでした。

その露伴が漱石や鷗外と並ぶ明治の文豪の一人となり、漱石や鷗外よりも長く昭和時代まで活躍しているのです。

露伴の文豪としての素地はどこにあったのでしょう。

『努力論』を著しているぐらいですから、当然、進んで努力精進をするタイプだったことでしょう。もちろん魂の資質や過去世なども関係すると思います。ただ、文豪になるにあたっての基礎作りを行う何かがあったはずです。

 

漢学塾と図書館

露伴が中退した中学校は、一ツ橋の東京府第一中学(今の都立日比谷高校)です。中退後、東京英学校(後の青山学院)にも入学しますが、ここも中退しています。

中退の理由は明確には分かっていません。ただ、一般には、家庭の経済状態にあったといわれています。

江戸時代、幸田家は幕臣でお坊主衆(江戸城中で大名や諸役人の世話をする坊主)でしたが、明治維新を迎え、旧幕臣たちは生活が苦しくなっていったのです。

露伴の父・成延(しげのぶ)は収入の道が途絶え、店を借りて、「愛々堂(あいあいどう)」という紙屋を新たに営んだそうです。

そうした露伴にとって、学校代わりとなったものが実は二つありました。それが漢学塾と図書館です。この二つが露伴を文豪に育てていく基礎作りの基地となったのです。年譜には、こうあります。

「14歳。中学を中退。湯島聖堂の東京図書館に通い読書に明け暮れる」
「迎㬢塾(げいぎかん)と図書館通いとを通じて、経書、諸子、歴史、伝記、小説など多くの漢籍を読破し、狂歌、俳諧、随筆等々をも渉猟していた」

(『明治文学全集25 幸田露伴集』〔筑摩書房〕)

迎㬢塾というのは漢学塾の名前です。露伴は幼少時から二宮金次郎のように四書五経など古代中国の古典の素読をしています。

漢学塾については後で触れるとして、次の回では、露伴が通っていた図書館についてご紹介します。

 

幸田露伴の霊言を収録した大川隆法著『幸田露伴かく語りき』と幸田露伴著『二宮尊徳に学ぶ成功哲学』。周りの書籍は幸田露伴の最後の弟子だった塩谷賛による『幸田露伴』(中央公論社)の単行本と文庫版(中公文庫)。文豪露伴の生涯を克明に書き綴った露伴伝記の決定版。

幸田露伴の霊言を収録した大川隆法著『幸田露伴かく語りき』と幸田露伴著『二宮尊徳に学ぶ成功哲学』。周りの書籍は幸田露伴の最後の弟子だった塩谷賛による『幸田露伴』(中央公論社)の単行本と文庫版(中公文庫)。文豪露伴の生涯を克明に書き綴った露伴伝記の決定版。

 

霊言とは?

「霊言」とは、あの世の霊を招き、その思いや言葉を語り下ろす神秘現象のことです。これは高度な悟りを開いている人にのみ可能なものであり、トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる「霊媒現象」とは異なります。また、生きている人間の守護霊の霊言は、いわば、本人の潜在意識にアクセスしたもので、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)になります。幸福の科学グループ創始者・大川隆法総裁は、数多くの霊を呼び出して、その言葉を伝えています。書籍化された公開霊言は400冊を超え、海外にも読者が広まっています。

 

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二宮尊徳に学ぶ成功哲学

二宮尊徳に学ぶ成功哲学
富を生む勤勉の精神

幸田露伴 著/加賀義 現代語訳

第一章 二宮尊徳
第二章 自助努力で道を切り開け

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