編集にまつわるアレコレ話

『遠藤周作の霊界談義』から広がるアレコレ話《第2回 三島由紀夫の肉声テープ見つかる》

霊言収録と映画公開―三島由紀夫と遠藤周作の共通点

遠藤周作の霊言(※)は2014年4月22日に収録され、書籍化は2年後の2016年2月でした。ちなみに、一刻も早く世に知らせなければならない緊急性を帯びた内容の霊言の場合は、収録後、最速で半日で編集し、印刷所に入稿、翌日には刷り上がるということが時々ありますが、この遠藤の霊言に関しては、逆に2年もかかりました。編集部の都合で発刊が大幅に遅れたと、著者自身がまえがきで次のように嘆かれています。

「あまりにグウタラな談義のためか、あるいは、ビデオ上映したら、観た人たちが信仰心をグラつかせたせいか、弟子レベルの判断で二年間も編集局の篋底(きょうてい)に秘されていた(しまいこんで放っておかれたということ)」(『遠藤周作の霊界談義』まえがきより)

処女小説の発見は書籍発刊の4カ月あと、そして映画「沈黙」が公開されました(アメリカでは2016年)。
一連の流れに「うねり」のようなものを感じるのは私だけでしょうか。

ところで、これに似た「うねり」を他の作家で見つけました。

それは、三島由紀夫です。

三島由紀夫も霊言が収録され(2012年2月1日)、その8カ月後、書籍化されていますが(大川隆法著『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』)、今年(2017年)に入って、うねりが起きています。

まず、年初早々、三島由紀夫の未発表の肉声テープが東京・赤坂のTBS社内で見つかりました。彼の死の9カ月前のインタビューで、死生観や人生観が率直に語られています。

「死がね、自分の中に完全にフィックスしたのはね、自分に肉体ができてからだと、僕、思うんです」

「死の位置がね、肉体の外から中に入ってきたような気がする」

「僕の小説よりも僕の行動のほうが分かりにくいんだっていう自信があるんです。僕が死んでね、50年か100年か経つとね、『ああ、分かった』と言う人がいるかもしれない。それでもかまわない。生きているうちは人間はみんな何らかの意味でピエロです。(神様がわれわれに)人形芝居をやらせている。だから人生でね、一つの役割をね、パペットプレイ(人形芝居)を強いられているんですね」

なお、三島は死後、天上界(高天原)に還っていて、今の日本の国のあり方や日本人の精神性について非常に憂えていることが、先の霊言(『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』)からありありとうかがえます。

 

リリー・フランキー主演で初めて映画化される三島由紀夫の宇宙人小説

そしてこの春(2017年5月)、三島の小説が映画化、リリー・フランキー主演で公開されます。「美しい星」(監督・吉田大八)です。

『美しい星』は1962年に雑誌「新潮」に連載された小説で、映画化は初めて。なぜ、このタイミングに映画化なのか、多少気になります。原作を「大胆に脚色」したようですが、もし今回の映画化で、宇宙人に対して従前通りの荒唐無稽かつ揶揄的な扱いをしたり、日本人の宇宙人否定派を増やす内容なのであれば、三島の本意を裏切ることになります。

なぜなら、三島は真剣にUFOや宇宙人の存在を信じていたからです。そして、今も、三島の霊はこう語っています。

「実際、宇宙人なんかも感じるものがあったのさ。何かが近くにいるように感じて、何だか、『声』が聞こえていたのよ。私が受けていたインスピレーションのなかに、『地球の人間界からではないもの』があるような感じがあったねえ。もっと深いところで、宇宙とつながっているような感じがした。というか、『私自身も、宇宙から来たんじゃないか』っていう気がしたねえ。これは、何とも名状しがたいものだけれどもね」(『天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界』)

さらに、幸福の科学で行っている宇宙人リーディングについても、「私はねえ、あんたがたが『宇宙人もの』をやり始めたのを知っているよ。ちゃんと見ていたよ。『ああ、やってくれたじゃないか』って、スキッとしたよ」と、霊界からウォッチしていた事実を明かします。

宇宙人の存在を日本人にきちんと知らしめたい三島霊。霊界から映画「美しい星」の動向にも注目しているはずです。

 

熱狂的なUFOファンだった三島由紀夫

巷ではあまり知られていませんが、手元に生前の三島のUFOへの傾倒ぶりを示す文献があります。

「ボクは“空飛ぶ円盤”の実在を信じてるんでね。日本でもその方の研究会に入ってるんだけど、まだいっぺんも実物にお目にかかったことがない。ところがアメリカでは日本よりしばしば現われるらしいんだね。

だから向こうへ行って半年もいれば一度ぐらいは見られるだろうと思ってすごく期待してたんだけど、とうとうあわずじまいさ。そのために旅客機も夜の便を選んだりしたんだが……。

しかしね、アメリカでは円盤を信じないなんてのは相手にされないくらい一般の関心も研究もさかんですよ。日本じゃ研究誌もガリ版だが、向こうはちゃんと活版の専門誌が二種類も駅売りに出てるほどだし、ラジオでも午前一時の深夜放送に円盤の時間があるからね。そこでは見た人の報告やそれについての科学的な検討や解説がされるんです」(1958年2月4日付「内外タイムズ」)

三島由紀夫『美しい星』

「頭上にあるのは銀いろにかがやく円形の物体であった。それはゆるく杉木立の空を廻っていた。暁子は戦慄した」。三島由紀夫『美しい星』(新潮文庫)より。

 

三島由紀夫も足繁く通った? UFOの聖地・五反田

三島の死から20年後、「サンデー毎日」(1993年12月5日号)で、「『三島由紀夫とUFO』の意外な出会い」という特集記事が組まれました。記事中で、三島と親交のあった文芸批評家、奥野健男氏は「三島は円盤の実在を信じてましたね」と語ります。

「三島の円盤好きは仲間内では有名です。会えば、円盤やお化け、冒険談ばかりしてた。むしろ文学や思想の話なんてしませんでしたよ」(奥野健男談)

同氏は、『美しい星』(新潮文庫・1967年版)の解説でも、「ぼくは作者(三島)が、超現実な怪奇譚やSFや、特に空飛ぶ円盤の話に興味があるのを知っていた。ぼくもそういうことには人一倍関心がある方なので、作者と会うたびに話題はSFや円盤のことになった。(中略)三島もある時期、空飛ぶ円盤に憑かれていた。その実在を心から信じこんでいるようであった」と、三島が円盤観測会に参加していたことにふれています。

この観測会は、かつて存在した日本初のUFO研究団体、「日本空飛ぶ円盤研究会(JFSA)」が主催したもので、三島は熱心な会員でした。
この会の会長は荒井欣一氏(故人)。日本のUFO研究の草分け的存在で、氏が営む五反田書房が会の住所(東京都品川区五反田。現在は東五反田に町名変更)となっていました。

集会等は近くの料理店などで行われたようで、三島も参加していたのでしょうか。

1979年に、この五反田書店は5階建ての荒井氏自宅兼オフィスビル(光星ビル)に建て替えられ、最上階に世界初の「UFOライブラリー」(後に「UFO・ET博物館」と改称)が開設されます。

荒井氏が収集した内外のUFO関係資料を展示していましたが、1998年に地域再開発のため閉鎖、その場所には現在、幸福の科学東京南部支部精舎が建っています。三島は生前、このUFOの聖地・五反田に興奮しながら訪れていたことでしょう。

五反田は日本初のUFOの聖地?

五反田は日本初のUFOの聖地? 光星ビルの最上階にあった「UFOライブラリー」。『UFOこそわがロマン-荒井欣一自分史』(非売品)より。

 

霊言とは?

「霊言」とは、あの世の霊を招き、その思いや言葉を語り下ろす神秘現象のことです。これは高度な悟りを開いている人にのみ可能なものであり、トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる「霊媒現象」とは異なります。また、生きている人間の守護霊の霊言は、いわば、本人の潜在意識にアクセスしたもので、その内容は、その人が潜在意識で考えていること(本心)になります。幸福の科学グループ創始者・大川隆法総裁は、数多くの霊を呼び出して、その言葉を伝えています。書籍化された公開霊言は400冊を超え、海外にも読者が広まっています。

 

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【関連書籍】
天才作家 三島由紀夫の描く死後の世界

『遠藤周作の霊界談義』

『遠藤周作の霊界談義』
新・狐狸庵閑話

大川隆法 著

○ 遠藤周作の死んだあとの体験
○ 劣等感にどう対処すればよいか
○ はたしてイエス・キリストに会えたのか
○ ユーモアは神の武器の一つ
○ 信仰の奇跡について思うこと
○ 遠藤周作の過去世を探る
○ 狐狸庵流・人生アドバイス  ほか

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