新・教養の大陸 編集にまつわるアレコレ話

『二宮尊徳に学ぶ成功哲学』編集にまつわるアレコレ話《第3回 「金次郎像」第1号が生まれるまで(前編)》

露伴と気が合った、明治を代表するメタルアーティスト

薪を背負って歩く金次郎像―。かつて全国の小学校の校庭に置かれていた金次郎像は、露伴の『二宮尊徳翁』に由来することは、知る人ぞ知る事実です。『二宮尊徳翁』が発刊されたのは明治24年(1891年)。しかし、金次郎像が誕生するのは、それから20年近くも後のことです。その金次郎像を初めて作った人は、実は露伴の友人でした。それが岡崎雪聲(1854~1921)です。

雪聲は冶金師、彫金師、今風に言えば、メタルアーティストです。代表作にあの上野公園の西郷隆盛像(原型は高村光雲作)や皇居の楠木正成像(やはり高村光雲が製作主任)があります。雪聲はパリ万国博覧会(明治22年=1889年)で2等を獲得し、岡倉天心(1863~1913)の引きもあって、東京美術学校(今の東京藝術大学美術学部)の教授を務めています。

露伴と雪聲はどういうきっかけで知り合ったのかわかりませんが、ウマが合ったらしく、お互いに刺激し合ってそれぞれ仕事につなげています。

 

金次郎像が初めてこの世に誕生した時に再び現れた「あの人」

露伴は雪聲をモデルに2作の小説(「鵞鳥」「名工出世譚」)を書いています。そして雪聲は二宮金次郎像を作ります。

どうやら露伴が雪聲に、尊徳のことを熱く話したようです。雪聲は尊徳の故郷である小田原に出向いて、生前の尊徳を知る古老を取材しているほどの入れ込みようだったようです。

雪聲が作った記念すべき金次郎像第1号は大きさが30センチほどですが、薪を背負って本を片手にするあの金次郎像そのものです。

雪聲はこの像を明治43年(1910年)に東京彫工会が開催する第25回彫刻競技会に出品しました。そしてこれに目をとめた人物がいました。

それは明治天皇でした。

(後編に続く)

 

岡崎雪聲が鋳造を手がけた東京・上野公園の「西郷隆盛像」

岡崎雪聲が鋳造を手がけた東京・上野公園の西郷隆盛像

 

東京・皇居外苑の「楠木正成銅像」

同じく岡崎雪聲が鋳造を手がけた東京・皇居外苑の楠木正成銅像

 

【関連記事】
『二宮尊徳に学ぶ成功哲学』編集にまつわるアレコレ話
 ・《第1回 青年露伴の背中をグイと押した? 尊徳伝》
 ・《第2回 明治天皇は二宮尊徳を語る上で外せない》
 ・《第4回 金次郎像第1号が生まれるまで(後編)》
二宮金次郎像の原点はこの本にあった!《幸田露伴著『二宮尊徳に学ぶ成功哲学』》

二宮尊徳に学ぶ成功哲学

二宮尊徳に学ぶ成功哲学
富を生む勤勉の精神

幸田露伴 著/加賀義 現代語訳

第一章 二宮尊徳
第二章 自助努力で道を切り開け

購入する
この記事を書いた人